最近のタイトル、やたら「篇」が付いてますが、特に深い意味はありません♪
今回は、
~共に10年を戦い抜いた同胞に祝福を。
そして思い出をめくろう♪~
と言う、労いのアルバム・だに兄篇です。
彼以外にも10年選手のサイトは僅かにいらっしゃるんですが、その間ずっと更新が続いたサイトって、もしかしてだにやんくらいじゃないかしら?
僕でも中抜けはあるもんね。第一、OBだし。
しかも、その人気たるや、いまや日本を代表するマリンアクアリウムサイトとして、不動の地位を築かれました。トラフィックを見る限り、国内でも3本の指に入るでしょう。これは凄いことですよ!
だに兄とはかれこれ10年来のお付き合いですが、初めて顔を合わせたのは、多分2002年に開催された伝説のオフ会「名古屋サミット」のようです。「ようです」というのは、いま下駄箱ひっくり返しても、それしかデータが出てこないから(笑)
当時、彼は自身を「だにだに」と称していました。僕もまだサンタマルターエイジでした(曝)
で、この時はまだ僕も現役の頃です。水槽を畳む3ヶ月前。。。
写真(左)は、2002年の名古屋オフでのショット。当時ナースだった(うそ)だに兄と僕。
時代背景としては、スーパークール多灯によるパステル水槽の先駆けとなったハギやんの水槽(中央・右)が話題でしたね。
今でこそZEOvitがパステルの代名詞になりましたが、実は当時からも日本にはパステル水槽が存在してたんだなぁ♪
方法としては、栄養塩の制御は勿論ですが、そこへSCを多灯することで強い光を満遍なく照射し、今のZEOvitの効果を別の角度から実現していたような感じかな?
今ならケントパパがSC多灯キーパーとして有名ですよね。
ZEOvitでは、照明はそこそこ固定で、主力としては栄養塩の徹底的な排除によりパステルを実現しますが、ハギヤンやケントパパを見ていると、栄養塩はそこそことして、メソッドの主力はとにかく照明の強化、それもSCをババンバンという感じで、サンゴの褐色部位を極力排除しているように見えます。これも、ブルー光でありながら6500Kを核に持つSCだからこそ、成せる業なのかも知れません。
ただ、いろんな意味で誰にでも真似のできる方法ではありませんけどね(笑)
ちなみに上の写真は当時の参加者から頂いたもので、僕自身はハギやんの水槽は直接見てません。見たかったなぁ。。。
次にだにやんに会ったのは、2003年の広島オフだったかな。
そして、初のROOM210潜入です。
ちなみに、この頃の僕はもう水槽を失ったOBでした。。。
今は無きROOM210では、みかんのダンボール箱がテーブルでした。漫画か。
部屋中、怪しい機器が満載で、水槽周りは配線ジャングル。窓辺には・(自主規制)
ただ、そんな中にあって、水槽の中は異色を放つ別世界が広がってました。
花に例えるなら、表は色とりどりの花が、地下には地味で複雑な根っこが、みたいな?
また、多くが全国各地から寄せられた寄贈サンゴだと言うから、当時からだに兄の人柄が伺えます。いや、せこいという意味ではなく、慕われているという意味ね(笑)
ちなみに僕、基本的に「スイハイツアー」というものをしない人なので、これは数少ないスイハイのひとつになりました。普段よく遊んでもらってる人でも、未だに水槽見たこと無かったり。ま、僕自身が水槽やめちゃってますから、2002年以降なんて特にそんな欲求が消失しちゃったのかもなぁ。。。
その後も、南紀や四国と毎年のように遊んでもらいましたが、これだけアクアテンションの不変な人も珍しいですね。むしろ会を重ねる毎にパワーアップしてます。途中でCカード(ダイビング)も取っちゃったし。ただ、強いて言うなら、雨雲連れて来るのは控えて欲しいところ(苦笑)。100%ですからね。この人にかかれば、気象庁は存在意義を失います。。。
えと、こんなところかな(汗)
いやぁ、懐かしいです。
ちなみに、だに兄と僕は結構共通点があるんですよ。
女性のタイプ、シャイなとこ、元体操部、電気関係、そして独身♪
あー。だにやんには負けたくないなぁ~。
さあ、次に10周年を迎えるのは誰でしょうか?